2017年08月15日

解放させる。

 クルゼイロのコーチたちは、エリート集団です。

そもそも、ビッグクラブで働いている、そのエンブレムを身に着けている。

それだけで、大きな誇り。

胸を張って、街中を歩きます。

その本体のコーチたるや、日本人の想像を超えるほどの、エリートなのです。

でも、その彼らは、全く、偉ぶる素振りを見せません。

笑顔が素敵で、フレンドリーであり、我々を尊重しくてくれます。









 日本の子供たちは、居心地よさそうに、トレーニングしていました。

南米人が醸し出す、楽し気で、開放的な空気を感じているのでしょうか。

あまり接したことがない、ブラジル人であっても、こわ張っていない様子。

コーチ側が、一方的な、権威主義的な態度を取っていないからでしょう。

こういう風にやってごらん、と促されると、素直に取り組んでいきます。

傍で見ていても、本当に、良い関係を築いています。

その信頼関係が、早い上達を生みます。

そして、上達を選手自身も感じているから、さらにコーチに近づいていく。

好循環が生まれていました。









 それでも、日本人は、まじめですね。

空気を読み合って、行動しようとしています。

集合して、コーチの話を聞く態度は、素晴らしい。

この部分は、「規律正しく、我々を尊敬してくれている。」と高評価です。

でも、この規律正しさが、プレーに制限を加えている、言わば足かせにもなっています。

失敗が許されない?

集団の、何となくの意思からはみ出したプレーは許されない?

心のどこかで、ブレーキをかけているようにも見えます。








 ある日、面白いトレーニングがありました。

「ミニゲームをしよう。」

用意するものは、ボールだけ。

ビブスも、マーカーも、コーンも、ゴールも、あえて用意しません。

自分たちの持ち物で、ピッチを作り、ゴールを作ります。

水筒、シューズ入れ、ウェア、なんでもOK。

ピッチの準備が出来たら、靴を脱いで、ソックスも脱いで、ハダシになります。

そう、ストリートサッカーを味わってもらうためです。

ちなみに、ブラジル国内でも、ストリートサッカーは減少しています。

都市化が進み、車社会が進んだ影響と聞きました。











 子供たちは、ざわざわと、落ち着かない様子。

でも、コーチたちは、特に、何も言いません。

3人組程度のチーム分けを手伝っただけで、後は、選手に自主的に始めてもらいます。

恐る恐る、試合が始まります。

とその時、スピーカーのスイッチをON。

軽快な、ラテンの音楽をかけるのです。

思わず、踊りたくなるような音楽がかかります。

すると、ハダシの子供たちのプレーも、変わっていきます。

持っている技や、フェイント、相手を驚かすようなプレーを、やりたがるのです。

今まで、正確に止め、運び、蹴ろうとしていた姿とは、正反対。

まるで、自分たちで押し殺していた、内側の深いところにあった何かが、飛び出してきたようです。

心が解放され、プレーで表現をし始めたのです。

コーチたちも、音楽に合わせ、体を揺らして、笑顔で見守っていました。

「それを待っていたんだよ!」と言わんばかりの表情です。










 日本人は、真面目過ぎる。

我々は、自己表現が下手。

そんなレッテルが貼られています。

自分たちも、それでいいと思っていたのかもしれない。

コーチや親が、子供たちの、まじめに取り組む姿を期待している。

子供たちも、それに必死で応えようとしているのではないでしょうか。

実は、本当の姿は、そうでないのかもしれない。

心が解放された、子供たちのプレーは、エネルギッシュで、ダイナミック。

そして、ボールを蹴る喜びにあふれていました。










 この喜びを知らない子供たちは、大きくなったら、いつか、引退してしまうのでしょう。

スポーツには、引退などなく、形を変えて、一生楽しめるもののはずなのに。

真面目に、真剣に取り組むことは、素晴らしいことです。

競技の世界で生きていき、プロを目指すならば、当然の態度です。

でも、心からの喜びを知ることも、同時に必要であると思いませんか?

それを知っている人間は、いくつになっても、フットボールを楽しめるでしょう。
posted by プロコーチ at 02:47| Comment(0) | メンタル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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