元々、本を読むことは幼い頃から好きだった記憶があります。
図書館に通ったり、新聞を読んだり。
コーチを天職に定めてからは、さらに知識収集欲が高まりました。
何か気になる分野があれば、深く物事を知りたい。
その思いは、幼い頃からずっーと継続しています。
欲張りなのでしょうか。
今は、フットボール、コーチング、教育、栄養・料理あたりにその興味が向いています。
本を読むと、自分の経験していない世界を見ることが出来る。
字を読んで、想像を膨らませる。
子供の頃、一番好きだったのは、シャーロックホームズのシリーズでした。
はるか遠いロンドン、しかも百年以上も前のお話。
なぜか、ホームズの活躍に憧れを抱きました。
ドキドキしながらページをめくっていたのが、懐かしい記憶です。
これが、本を好きになった大きな理由かもしれないです。
そして本は、特別な言葉との出会いがあります。
高みに達した多くの偉人や、トップレベルで活躍する著名人。
その方々が掴み、得た体験。
だからこそ、発することが出来る考え、そして言葉。
普通に生きているだけでは、気付けないような内容が溢れています。
それらの本にある言葉の一つ一つが、私の血となり、肉となっています。
私が強く印象に残っている言葉があります。
「母親としては、1歳」
これは、テニスで活躍した杉山愛さんの母、杉山芙沙子さんの言葉です。
大人の目線で、大人の価値観をそのまま子供にぶつけてしまいがち。
子供のためにしようとしていたことなのに、大人の基準で考えて、イライラをぶつけてしまう。
(なぜ、こんなことも出来ないのか!?)
杉山愛さんは、芙沙子さんが26歳の時の子供です。
でも、26歳として接するのではなく、新米ママとして接することを心がけていたそうです。
子供(愛)が1歳なら、自分も母親1歳。
自分も、母親としては1年しか経験が無いのだから、偉そうに出来るわけではない。
この考え方。
口で言うのは簡単ですが、実行することは、とても、とても難しいことです。
プライドや、立場が邪魔をしてしまうのでしょう。
私はこの言葉を、プロとしてのコーチを始めて数年の時に、知りました。
例え、10年、20年フットボールをプレーしていたとしても、コーチとしては新米に過ぎない。
コーチの資格を取って、7・8年は経っていたが、プロとしてはまだ数年。
もっと、もっと、することがあるのではないか。
自分のお尻を叩いてくれた、貴重な言葉でした。
最近、彼女の本が発売されました。
すると、そこには、その考えが記されていました。
しかも、グレードアップして!
・・・長女の愛の時も、次女の舞の時も、私はこのように考えて子育てをしていました。
「愛が1歳の時に私は『愛の母親』として1歳ですし、
舞が1歳の時にはやはり『舞の母親』として1歳なのだと思っていた。」
過去の経験や成功を押し付けるのではなく、今の対象を観ていた。
そして、2人を比べるのではなく、それぞれ一人一人の特性に合わせていた。
この言葉は、さらに強く、私の胸に刻まれました。
自分が何年の経験を積み重ねたしても、目の前の新しい選手に対しては、新米コーチ。
経験や、実績を自慢しても、その選手には関係ない話。
今、出会った、この選手と、どのように接していくことが出来るのか?
常にフレッシュであり続ける心を、忘れずに。
2012年01月17日
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