そもそも、ビッグクラブで働いている、そのエンブレムを身に着けている。
それだけで、大きな誇り。
胸を張って、街中を歩きます。
その本体のコーチたるや、日本人の想像を超えるほどの、エリートなのです。
でも、その彼らは、全く、偉ぶる素振りを見せません。
笑顔が素敵で、フレンドリーであり、我々を尊重しくてくれます。
日本の子供たちは、居心地よさそうに、トレーニングしていました。
南米人が醸し出す、楽し気で、開放的な空気を感じているのでしょうか。
あまり接したことがない、ブラジル人であっても、こわ張っていない様子。
コーチ側が、一方的な、権威主義的な態度を取っていないからでしょう。
こういう風にやってごらん、と促されると、素直に取り組んでいきます。
傍で見ていても、本当に、良い関係を築いています。
その信頼関係が、早い上達を生みます。
そして、上達を選手自身も感じているから、さらにコーチに近づいていく。
好循環が生まれていました。
それでも、日本人は、まじめですね。
空気を読み合って、行動しようとしています。
集合して、コーチの話を聞く態度は、素晴らしい。
この部分は、「規律正しく、我々を尊敬してくれている。」と高評価です。
でも、この規律正しさが、プレーに制限を加えている、言わば足かせにもなっています。
失敗が許されない?
集団の、何となくの意思からはみ出したプレーは許されない?
心のどこかで、ブレーキをかけているようにも見えます。
ある日、面白いトレーニングがありました。
「ミニゲームをしよう。」
用意するものは、ボールだけ。
ビブスも、マーカーも、コーンも、ゴールも、あえて用意しません。
自分たちの持ち物で、ピッチを作り、ゴールを作ります。
水筒、シューズ入れ、ウェア、なんでもOK。
ピッチの準備が出来たら、靴を脱いで、ソックスも脱いで、ハダシになります。
そう、ストリートサッカーを味わってもらうためです。
ちなみに、ブラジル国内でも、ストリートサッカーは減少しています。
都市化が進み、車社会が進んだ影響と聞きました。
子供たちは、ざわざわと、落ち着かない様子。
でも、コーチたちは、特に、何も言いません。
3人組程度のチーム分けを手伝っただけで、後は、選手に自主的に始めてもらいます。
恐る恐る、試合が始まります。
とその時、スピーカーのスイッチをON。
軽快な、ラテンの音楽をかけるのです。
思わず、踊りたくなるような音楽がかかります。
すると、ハダシの子供たちのプレーも、変わっていきます。
持っている技や、フェイント、相手を驚かすようなプレーを、やりたがるのです。
今まで、正確に止め、運び、蹴ろうとしていた姿とは、正反対。
まるで、自分たちで押し殺していた、内側の深いところにあった何かが、飛び出してきたようです。
心が解放され、プレーで表現をし始めたのです。
コーチたちも、音楽に合わせ、体を揺らして、笑顔で見守っていました。
「それを待っていたんだよ!」と言わんばかりの表情です。
日本人は、真面目過ぎる。
我々は、自己表現が下手。
そんなレッテルが貼られています。
自分たちも、それでいいと思っていたのかもしれない。
コーチや親が、子供たちの、まじめに取り組む姿を期待している。
子供たちも、それに必死で応えようとしているのではないでしょうか。
実は、本当の姿は、そうでないのかもしれない。
心が解放された、子供たちのプレーは、エネルギッシュで、ダイナミック。
そして、ボールを蹴る喜びにあふれていました。
この喜びを知らない子供たちは、大きくなったら、いつか、引退してしまうのでしょう。
スポーツには、引退などなく、形を変えて、一生楽しめるもののはずなのに。
真面目に、真剣に取り組むことは、素晴らしいことです。
競技の世界で生きていき、プロを目指すならば、当然の態度です。
でも、心からの喜びを知ることも、同時に必要であると思いませんか?
それを知っている人間は、いくつになっても、フットボールを楽しめるでしょう。
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