日本は、海外の優れたものを学び、それを力に変えてきました。
政治、経済、モノづくり、文化、そしてスポーツ。
オリジナルを生み出すというよりも、アレンジしてきたものの方が、多いように思います。
それが良い、悪いと言いたいわけではありません。
我々のフットボールにおいても、同じことが言えるでしょう。
イングランドから学び、ドイツから学び、ブラジルから学びました。
今は、ヨーロッパに再び回帰していますね。
フランスやスペイン、そしてドイツなどから学び、力に変えようとしています。
私は、最先端のフットボールシーンであるヨーロッパから学ぶことは、当然のようにたくさんあります。
でも、まだまだ、ブラジルを始めとした南米から学ぶことも考えています。
ただ、学ぶにおいても、そのままオリジナルを導入することは反対です。
なぜなら、ここは日本であり、その学んでいる国ではないからです。
トレーニングを受ける対象である選手は、日本人。
それならば、日本と言う環境に適した伝え方をするべきです。
日本で、日本の家族に育てられ、日本の環境で育った選手たち。
ヨーロッパや、南米の選手とは価値観や文化が、そもそも異なっていますよね。
それを改めて感じる瞬間がありました。
ブラジルのクラブで、日本人とブラジル人の子供たちで、合同トレーニングをしている時でした。
当日のテーマは、守備の改善。
W-UPから、簡単なトレーニング、徐々に難しく、応用的になっていきます。
少し複雑なトレーニングになっていったので、戸惑っている子供もいました。
トレーニングが、一区切り。
トレーニングが進んで行き、残すは、ゲーム形式のみ。
そこで、コーチが選手全員を集めて、ピッチ上でミーティングが始まりました。
コーチが質問を投げかけました。
「ヘイ、*+‘>。今日はどんなトレーニングをしたの?」
ある選手を指名して、優しく問いかけたのです。
すると、一斉に、声が上がりました。
「今日は、守備だよ。」「相手からボールを奪ったよ。」「2対2をしたよ。」
指名されていない選手が、当てられてもいないのに、発言を始めたのです。
コーチが、片腕を水平に伸ばして、発言を制しました。
「私は*+‘>に、聞いているんだよ。」
すると、子供たちは静かになりました。
でも、指名された選手が、あまり理解できていないような解答をするやいなや、
「ハイ!」「俺、俺!」
またもや、周りの選手が手を挙げて、意見を出そうとしたのです。
そして、元々指名されていた子が、答えるのを、周りで助けるようにして、何人もの選手で回答を導き出しました。
次に、日本の子供が当てられました。
「では、あなたは今日のトレーニングをして、どう感じた?」
私が、子供に日本語に訳して、伝えてあげました。
当てられた子供は、なかなか発言できません。
「間違ってもいいから、自分で感じたことを日本語で答えてごらん。」
と、私が助け船を出しました。
すると、か細い声ながらも、ゆっくりと、自分の考えを発しました。
その間、周りの日本人の子供たちは、じっと黙って待っていました。
私は、このくっきりとしたコントラストが、とても興味深く感じ、じっくりと観察していました。
ブラジルの子供たち
・間違っていても、意見を発する。
・自分の順番は、自分で勝ち取る。
・仲間と共に、良い方向に進んでいこうとする。
(この3番目の仲間と共にと言うのは、このクラブがエリート集団ゆえに出来たことかもしれません、、。)
日本の子供たち
・間違いをおそれて、発言を控える。
・順番は待っていれば、自分の番が来ると信じ、待っている。
・仲間の成功を見守る。
これだけ、違う子供たち。
そこに、同じ手法で指導をしても、上手くいくわけがありませんよね。
その違いを理解して、伝えること。
それが出来なければ、せっかくブラジルで学んだことも、役に立たないでしょう。
ヨーロッパが!ブラジルが!と学ぶことは大切。
でも、目的地は同じでも、そこへ進んでいく手法は、違う。
なぜなら、出発地そのものが違うから。
2019年09月06日
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